「……しかしなんで俺はこんなことをしてるんだろうね……」 激しい、とは言わないまでも、それなりに強い雨に打たれながら思わずリヴェラはそう呟いていた。先ほどの食事から数十分後のことである。 リヴェラは目立たないように珍しく全身真っ黒な服と外套に身を包み、なるべく人目につかないよう路地裏の影に隠れながらただ一心に水煙の向こうに視線を飛ばしている。 そこにいるのは無論、マオだ。マオはいつも通りの黒っぽい服装に身を包んで、今は街中を歩いていた。よどみないその歩き方からして、どこかに用事が有るというのはどうやら本当らしい。 なんで自分はこんなことをしているんだろうと考えつつ、しかしマオの行動が気になるのも確かだった。 元々人見知りで外に余りで歩くタイプでもないマオが、どうしても外せない用事と言うのもなんだかおかしい。カレントなどの周辺の人物が絡んでいるなら考えられなくも無いが、それなら同居していることを知っている自分にも話が少しは聞こえてきてもおかしくはないだろう。むしろマオに直接話しても結局リヴェラに尋ねるから、といってマオに関する話が自分に来るぐらいだ。 他になにかあるとしたら……とリヴェラは考える。マオが街中で行くところとしたら、どこか買い物に行く以外はほとんど仲間内関係のところしかない。 とすれば自分にも伝えずにどこかに行くとすれば。 「……考えにくいけど、何か過去で関係してることで?」 マオは自分の過去のことを語らない。 そもそもマオという名前自体、自分の名前も口に出さなかった彼にとりあえずリヴェラが名付けて呼んだものである。まあそういう意味では記憶喪失の状態で街に流れ着いたリヴェラも似たようなものであるといえなくもなかったが、覚えていないのと自発的に言わないのとでは意味が違う。 もし、過去に関係していることで何か問題が起きているのだとしたら、その場合マオに無断でその問題についてみてしまうことになる。本人が語りたくないことについて勝手に見るのはどうだろう……、と今更ながらにリヴェラは悩む。尾行している段階でもう勝手に見ていることには変わりないのだが、リヴェラはその辺りは気にしていないようだ。 そうこう思っている間に、マオはふっと道を曲がりリヴェラの視界から消える。慌てて追いかけ壁を背にして道を覗き込んだ。雨のおかげで周囲に人はいないから、怪訝な目で見られることも無い。ちょうどよい。 リヴェラが道の向こうに目を凝らすと、マオは丁度商店の店員と談笑しているところだった。 あそこは確か……花屋だったか。 花屋の主人らしい男が楽しげにマオに話しかけ、マオもそれなりに相槌を返しているようだ。あの花屋には何度か立ち寄ったことも有るし、店員の男とも話したことはあったが、その男の印象はどちらかと言えば朴訥で、それほど会話が盛り上がるタイプにも見えなかった。 そんな人間と初対面で人見知りの強いマオが満足に話せるとは思えないので、マオはそれなりにあの花屋に通っているということだろう。 マオが花屋に通っているだなんて全然知らなかったので、リヴェラは酷く驚く。マオはこちらから聞くまでもなくいつも一日の出来事を夕食の際に話してくれていた。時間刻み、とはいわないまでも一日どう過ごしているかならそれで察しがつく。それでも一度たりとも花屋に言った話など出てこなかったし、なにより、花を買ってきたり花の臭いを付けて帰ってきたことなどほとんどないのだ。違和感がある。 何か時分に伏せたい相手に花を贈っているということなら理解はできる。が、マオがわざわざ花を贈る相手も想像しにくかったし、それにそれを自分に伏せる理由も余り無い。周辺の人物に、というならまだ分かるが……それにしてもマオが花を贈って喜んでくれそうな相手など、それこそ意味も分からず受け取りそうなアニスくらいだ。残りは大体怪訝な顔をして終わりだろう。 「それとも知らない間に進展してたとか……? ……まさかね」 ないない、と首を振る。彼らは明らかにそういうのとは無縁そうな人間ばかりである。 それがいいか悪いかは別として。 と一人で首を振っている間に、マオは話を終えたのか一人店の外に立っていて、しばらくすると男が手に花のバスケットを抱えて再び姿を現した。バスケットの中では真っ赤な大きな花びらが、色鮮やかに咲き乱れている。 マオがそのバスケットを受け取ると男は笑いながらマオの背中を叩き、マオはそれを不快そうにもせずただはにかんだ様な笑みを浮かべた。なんとなく憮然とした気持ちになる。男に別れを告げたマオがこちらに向かってきて、リヴェラは慌てて家の影に身を隠してマオをやり過ごした。 擦れ違いざま見えたマオの表情はいつも通り無表情ではあったが、ただどこか嬉しそうな表情にリヴェラには見えた。 濡れたレンガの壁を背にして、リヴェラは思わず呟いた。 「……しかしなんで俺はこんなことをしてるんだろうね……」 *** そしてしばらくマオの後を惰性のように尾行していった。マオがその後向かったのは雑貨屋やその他色々、しかしどの店も余り長居せずすぐに店を出て次の店へと向かう。 その行動の意味は分からなかったが、ただリヴェラには人の行動を盗み見ている自責と徒労感で一杯一杯だった。 もうすぐ昼になる。マオも昼過ぎには帰るといっていたから、いい加減家に戻っておかないと怪しまれるかもしれない。 「次の店に入ったのを見届けたら、家に帰ろう……」 リヴェラが自分の行動に呆れた嘆息をしつつ、最後にマオが訪れたのは本屋だった。本屋にマオが近づいてきたところで、丁度本屋の中から妙齢の女性が現れた。髪を後ろでくくりポニーテイルにした、飾り気はないが美しい女性だ。その女性がふと道を見遣った瞬間マオと視線が会ったのか、女性は顔を綻ばせてマオに向かって小さく手を振り、マオはあわせるように小さく会釈をする。何か少し嫌な気持ちになる。 マオは女性に近づいていくと、手に持っていた花のバスケットを女性に手渡した。女性はしばらく物珍しげに花とマオの顔を交互に見ていたが、すぐに満面の笑みに変わってマオに口を開いた。マオがそれにはにかむような笑顔を見せた辺りで、リヴェラはそちらに背を向けて、見ないようにせざるを得なかった。 まあ要するにそういうことだった。 同居人には話すまでも無い、ということだったのだろう。 「……帰ろう」 酷く疲れた気分に気が滅入りながら、いまだ雨の降り続く家路を丸くなった背中でリヴェラは歩いていくのだった。 *** 「ただいま。……ん? リヴェラ、どうした?」 「……いや、なにもないよ。それより用事は済んだの、マオ」 「ああ、一応な」 「そう……それは良かった」 しばらく後マオがリヴェラの家に戻ると、机に突っ伏したままぼんやりとしているリヴェラを見つけた。マオの方に向き直ることも無く、ぼんやりと外を眺めたまま、普段ならこの時間昼を作っている頃なのだが、それさえもしていないようだった。 なぜそんな気分になれないのか、リヴェラ自身も不思議でならなかった。勿論原因はマオをつけていたことにあるのだろう。ただ、それをマオに説明するわけにもいかないし、それにたとえ普段マオがどういうことをしていたとしても、自分にそれについて口出しする権利など無いのだから、そんなことはどうでもいいことのような気もする。ただなんとなく……そうしたくないだけだ。そんな気分が言葉にも出ていたのか、なんとなくとげの有る言い方になってしまった。 そんな印象が伝わったのか、いや伝わらなくともいつもと違うその態度にマオはそうしただろうが……ともかく、マオはリヴェラの横に座る。そして一言聞いた。 「どうした?」 「…………」 「どうした? 気分でも悪いのか……?」 その質問を聞いて、リヴェラは呻きたい気分になった。何も言うことがないなら自室にいればいいじゃないか。結局こうやって不機嫌な風に見せて、そういって欲しかっただけじゃないか。しかもその原因は勝手に行動を盗み見たリヴェラ自身のせいだ。マオに当たってどうなることでもない。 「いや、なんでもないよ。ただちょっとうたたねしてただけだから。大丈夫」 そう言って、頭をあげて何とかマオに向かって微笑もうとした。 そのときリヴェラの視界に入ってきたのは、心配げに覗き込むマオの顔ではなく、大輪の大きな赤い花びらだった。 「これ……」 思わず呟く。 「この花は……」 「ああ、ちょっとしたプレゼントだ」 マオが多少誇らしげに言う。 「花屋に行った時、店員から『あの細い兄ちゃんの友達かい? ちょっと見ていってくれ』と言われてから気がついたら買っていた」 「それ押し売りされてるよマオ……」 「いや、そういうわけじゃないんだ。前々から感謝したかったことがあって……本当はこれを渡そうと思ってたんだが、これだけじゃ何か寂しいと思ってな。 料理も考えたが良く考えるとリヴェラから教わったものをリヴェラに振舞っても意味がない気がするから、花になった。 ―それと、プレゼントがこれだ」 そう言って、まだ多少呆然としたままのリヴェラの手にマオは薄い冊子のようなものを乗せた。オレンジ色の暖かい色彩の表紙に、かわいらしい人と動物の絵。そして、文字。 ページをめくってみると、丁寧に書かれた文字一つ一つにその頭文字を使った絵が描かれている。 「ほら、前にカレントに字が下手だと言われて凹んでいたことがあったから。 こういうのでも多少は役に立つかと思って」 そういえばそんなこともあったような気がする。置手紙が読めないとかそんな他愛も無い、リヴェラからすれば別に落ち込んでも無いようなことだったのだが。マオは気に掛かっていたのだろう、リヴェラのことだけに。 「本屋の店員にちょうどいいのを尋ねたんだが、それらしいのが届くのが今日と言われてな。……あぁ、そういえば贈り物だと言って花を見せたら随分と感心していたんだが、あれはどういう意味だ?」 「……多分、子どもにでも贈るとでも思われたんじゃないかな?」 「……それは心外だな……」 なんだ、結局全部空回りだったんじゃないか。マオの言葉を無意味に深読みして、勝手に疑って勝手に落ち込んでいただけだ。それなのに、マオは自分を気遣ってくれている。信頼を寄せてくれている。 何か今日鬱屈していたすべてが、取り払われた気がした。 「マオ」 「なんだ?」 「……ちょっとこの部屋寒いね。 暖炉に火を入れたいから薪とってきてくれる? なるべく一杯」 「……べつにわざわざ取りに行かなくても十分有るような気もするが」 「いいから。お願い」 「……仕方ないな」 そう言って立ち上がり、マオは部屋を出る直前振り返った。 「あぁ……言い忘れていた。いつもありがとう、リヴェラ」 そういってマオは扉を閉めた。 リヴェラは絵本の表紙を一撫でして、絵本を抱きしめるようにして顔を俯かせた。 マオも、いつまでも自分に頼りきりではいないだろう。いつかこの家を出て、一人で生きていく日も来るだろう。そのとき耐えられないのは、きっと自分のほうなのだ。 だから自分も変わっていかなければいけない。マオと同じように。誰かに頼られていなければいけない人間など、そう長くは成り立っていられないのだから。 ただ、今日このときだけは。そんな自分でもいいような気がした。本を掻き抱く。熱を持つわけでもない本が、なぜかとても暖かい気がした。 優しい暖かさだ、と思った。 この暖かさがあれば怖がることはない、そんな気がした。
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仲良しな話! いろいろ屈折してる分二人なりに幸せになれればいいなぁ… マオ視点、苦労話は近日公開予定です。 未編集(夜終が)はコチラから! http://blogs.yahoo.co.jp/wisman_003 【夜終】 |